2012年05月22日

お無沙汰してしまいました!m(__)m

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先月4月24日20:58私の父は亡くなりました。

このことをどう皆様にお伝えし、何を書いても、書ききれない思いを、
どうBlogに書いたらよいうか迷ってしまい、ご連絡遅くなってしまい、
すみませんでした。

昨年の9月に膵臓癌の末期と診断され、余命半年を宣告されました。

最初は信じられませんでした。

膵臓癌は相当悪くなってからでないと症状が出てきません。

発見された時もまだ、元気でした。

しかし、入退院を繰り返し、少しずつ少しずつ病気は進行していきました。

でも父は、病気になり、どんなに苦しくても、
笑顔と優しさを忘れない、また前向きな人でした。

そのことがどれだけ、心の強さを要するものなのか、家族から見ていても分かりました。

病気の苦しみを、私たちに一度もぶつけたことはありませんでした。

でも思い通りに身体が動かない悔しさ、弱っていく悔しさ、
私達と、永く一緒に生きてゆけない悔しさ、
父が、母をこれからもっと幸せにしてあげたかったのに、できない悔しさ
痛いほど伝わっていました。

神様はなんで、母と父を引き離そうとするの?
って何度も思いました。

どれだけ父が、神様に、母に出会えて、結婚できたこと、家族ができたことを
感謝していたか。

なのになんで、、、、って今でも思います。

父は、言いました。

「身体が、どんどん悪くなって希望を持つことが難しくなっても、
感謝はできる。そしたら元気になる。」と。

だから、入院中も、感謝の言葉を、そして今までの楽しかったこと、
夢をたくさん紙に書いていました。

そこに書かれた父の夢は、私と母が、作詞、音楽が世の中に認められて、
みんなも喜んでいる、そんな絵を書いていたのです。

私と母の成功が父の夢だったのです。

それを心から願ってくれていたのです。

父と会えないのは、寂しすぎて、それがどうしようもないことも分かっています。

でも私の音楽の中に父はいるように思うのです。

父が、私が幼いころから、音楽を応援して育ててくれました。

父のエールをもらった私の音楽には父がいます。

父が亡くなったことは、私と母にとって最大の悲しみと不幸でした。

でも不幸と、幸福は同じ場所にありました。

だってこの治療を続けた半年間、家族の愛を、絆を、確かめ合った、幸せな時間でもあったからです。

父の最後の時、母は父に言いました。

「生まれ変わっても私は廣さんと結婚する!
だから必ずまた私を見つけて!」

私も言いました。

「パパとお母さんが結婚したら、私は二人を見つけてまた子供になるから!」

これが最後の約束でした。

「幸せな時間をありがとう」
と二人で、必死に叫んで、手を握り締め、父は最後、すぅっと涙を流して
亡くなりました。

今でもまだ父の死を信じられません。

でも父は私の音楽のことで、言った言葉があります。

「みんなの幸せのために音楽をやってね」

私にとって宝物の言葉です。

ふと、また
「琴子!」ってあの声で私を呼んでほしい

と思うことがあります。

もう二度と呼んでくれないのかと思うと寂しくてたまりません。

父が私が生まれてすぐのアルバムに書いていました。

「琴子に
強く生きる生き方
美しく生きる生き方
人を愛する生き方
を伝えていきたい」

・・・と。

だから、どんなに寂しくても私は生きなければなりません。

そして、私の周りの方、友達、先生、みなさんがどれだけ優しく私達、親子を、
励まし、支えてくれているか、今実感しています。

父が忘れなかった感謝の気持ち、私もずっと持ち続けていきたいと思います。









posted by kotoko at 02:49| 東京 ☁| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お父さんのこと、お悔やみ申し上げます。

奥様、琴子さんの心うちもお察しいたします
さぞお辛かったことでしょう。。。

でも、お父さんはみんなの心の中にいます、いつまでも〜いつまでも
そして彼を思い出すことが、彼への供養となるのだからです。。
もちろん、奥様と琴子さんのことはいつも見守っていてくれると思います。

 さぁ〜琴子さんも上を向いて歩き出しましょう〜

振り返ってもいいんです。戻ってもいいんです。まずは一歩ずつ、一歩ずつ。。
前へ進みましょう⇒⇒かげながら応援しています。。。

 私事ですが、5年前、妻に先立たれました、その時は泣きました、泣きすぎて涙も出なくなりました、そして今でも妻が「ただいま〜」と言って帰って来てくれるような。。。もちろん、いまでも大声で泣きます、そんな時は空を見上げます。。
それも、彼女への供養と思います。

 奥様、琴子さんも一歩ずつゆっくりと歩き始めてください。。。

 PS 彼とのtwitterは、そのままでわたしは彼にでつぶやきます。

 琴子さんいつでも泣いていいんだよ〜
                          合掌


Posted by ねこです at 2012年05月22日 12:55
悲しいでしょうね、淋しいでしょうね。貴女とお母様の悲しみ私の想像以上であることを知りました。でも貴女の文章からは未来に向けての強い決意が伝わってきます。貴女やお母様のような真に優しい家族に囲まれて生きていけることはこの世に稀なことです。お父様は本当に幸せな生涯を送られました。   これからはお若い琴子さんがお母様を守ってあげてください。  私は大衆の中の一人です。レッスンを通じてしかお母様に接する機会はありませんが、お二人のこれからの幸せを祈っております。
Posted by 川野建志郎 at 2012年05月23日 11:17

ねこさんへ

そうですよね。私も、葬儀前は、寝だめならぬ、泣きだめしようと、何度も試みましたが、
あぁ・・・無理なんだって思いました。
ねこさんの奥様への想い、本当に共感します。
私の父と仲良くしてくださって本当に有難うございます!
きっと今も父はねこさんのことも、見守ってくれていると思います。


Posted by 古川琴子 at 2012年05月23日 15:45

川野健志郎さんへ

川野さんのこと、母はいつも優しい方って言ってます。
そうですね!私がしっかりしないと!と思っています!
頑張ります♪
これからも母のことも是非よろしくお願いいたします。
Posted by 古川琴子 at 2012年05月23日 15:49
ねこさんへ
お気使い、あたたかいお言葉、本当にありがとうございます。
主人も、ねこさんのツイッターいつも楽しみにしていました。旅に出られた折の写真、ご自宅から撮られた美しい夕焼け、私にもよく見せてくれました。
琴子のライブにも何度も足をはこんでいただき、ありがとうございます。

主人の無念さ、胸を突くように痛むことがありますが、もう少し時間がたてば、楽しかった、幸せだった思い出だけが溢れてくるのかなあと思うばかりです。

またお会いできた時には主人の思い出話でもさせていただければ嬉しいです
どうぞ、お体大事にお仕事なさってくださいね。
Posted by ことこの母 at 2012年05月23日 22:20
川野建士郎様
いつも、川野さんの温かい眼差し、感じています。ありがとうございます。
ご心配おかけしましたね。
みなさんと一緒に歌ったりピアノを弾いている時間は私にとって大事な時間です。
主人がいつも、私に「みんなを楽しく、明るくね!」と言って送り出してくれていました。
今は、私の方が、みなさんから元気と優しさをいただいています。
ありがとう・・・
Posted by ことこ母 at 2012年05月23日 22:43
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